吃音が治ったとは


 吃音者である私は長い間吃音の囚われから逃げる事が出来なかった。先に「吃音の春秋」に吃りを蹴飛ばした親父の話をまとめた。その後10年余り経っておりその後の思う事を書いてみる。

 吃音者(吃り)は「吃音を治す」または「治った」と言う場合、最初の言葉の音を繰り返したり引きのばしたりする代表的な吃音症状がなくなる事を言い、吃音は治らないものだと簡単にいう。本人が治らないと思っている以上治る訳はないと言えよう。吃音の囚われから自らを解放すべきであると思う。

 

 私は吃音が治ったと周りの吃音者でも云う人が比較的多い。家内はまだ「吃る」山口の方言では「どどくる」と言うのだが、お父さんはいまだに「どどくって」いると言う。仲人も20回近くしたし、少し準備さえしておれば講演も出来るのだが、50年連れ添った家内が言うのだから、吃音症状又はその後遺症があるようだ。

 

 私は吃音が治ったと言う基準を次のように捉えている。現象として吃っても(吃音症状があっても)次の4項目に当てはまれば吃音が治ったと言えると思う。治るとは吃音症状の有無ではないように思う。

 

 1. 吃っても(吃りながらでも)言いたい事が充分とは言えないが、普通に言う事が出来る。吃るから言わないのではなく自己主張出来る状態である。

 

 2. 一般の人の前で吃っても平気である。(心理的ダメージがない)恥ずかしいとか、かっこ悪いとは思っても、感情が沈む事がない。わたしの場合昔は吃った後は気持ちが動揺し軽い鬱状態(吃うつ病)になって自己嫌悪に陥っていた。この感情が無くなった。

 

 3. 話す場面を回避しない。社会人になるとどの職業を選んでも、色々と話す場面が多い。私の場合は人に代わってもらいたい気持ちがあった。この気持ちが無くなる。

 

 4. 予期不安がない。明日大勢の前で話さなければならない時、普通の人でも理路整然と話せるか、皆に解ってもらえるかと不安に思う。これが普通の心理状態である。吃音者はその上に、先ず第一に吃って次の言葉が出るまでの「無言の時間」その間の「皆の視線」これが心配になるのだ。この不安がなくなる。

 

 この4項目に該当すれば吃音が治ったといえよう。1.の項目も大事であるが2.の項目が一番大事であるような気がする。